カタツのアニメ感想ブログ

アニメの感想を徒然に書いていきます

ドラゴンボール超は大人としての器を試される

ドラゴンボール超を見ました。超はスーパーと読みます。

原作者の鳥山明さんがストーリーに関与しているそうで、漫画版ドラゴンボールの正当な続編にあたる作品です。

リアル時間で20年の時を経て、魔人ブウを倒してからのドラゴンボール時間がふたたび動き出したというわけですね。

ところで私は最近までドラゴンボールという超有名作品の途中まで(フリーザ編まで)しか読んでいませんでした。※もちろんアニメも見ていない。

ドラゴンボール連載当時の私はフリーザ編以降のドラゴンボール(人造人間セル編と魔人ブウ編)を受け入れることができなかったんですね。おもしろいと思えなかった。

当時感じていたつまらない理由はこんな感じ。
・悟空の活躍がビミョー、かといって悟飯にはヒーロー性がない
・誰が強いのかよくわからない
・修行しないでも強い子供たちにイラっとくる

フリーザ編まではわかりやすかったんですよ。主人公は悟空、強くて悪い敵が現れて、地球を救うために修行をして強くなって戦って勝つ!。この繰り返し。これが心地いい。カタルシスだった。

でも人造人間セル編からこの流れが変質していきました。悟空がガツガツ勝ちにいかなくなり前に出なくなって、悟飯などの次の世代に活躍させようとする。

で、その世代交代がいまひとつうまくいかず、最終的には悟空が戦っちゃうみたきな展開になっていました。

フリーザ編までのドラゴンボールは悟空1人の成長物語であり、人造人間セル編からは子供の父親としての悟空の物語で、後者は当時中学生の自分には理解しづらかったなーと思いますね。

でも、私も人の親になって人造人間セル編からラストまでのドラゴンボールを読んで理解できましたよ。悟空の気持ち。父親目線で。

結論としては人造人間セル編以降のドラゴンボールを子供が楽しむのは難しいのではないかと思います。大人としての器が試されているといえるでしょう。

それはドラゴンボール超でも同じです。この物語もやはり父親としての悟空やベジータの物語のようです。